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無塩食講座第22講 


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無塩食講座 第22講 2012627日アップ 

生命の声を聞く

 

1.今回も「ウイルスは恐くない」から、以下の内容を転載します。

 

①肉、卵、魚の食べ方

私達が生きていく上で動物性の食物は一切必要なく(主に日本人の場合には)特に病気のある人は食べない方がよいのですが、もし食べる時はどうしたらよいか、その食べ方について説明します。肉、卵、魚など動物性食品は、陽性でかつ酸性食品ですから、陰性でアルカリ性食品で、バランス(分解、毒消し、中和)をとる必要があります。下の陰陽と酸性・アルカリ性の表でわかるように、ちょうど対角線にあるのがバランスをとる関係になります。

即ち、色々な葉物野菜(根菜も使う)、香辛料、果物などが肉、魚、卵の分解毒消しになるのです。

 

 リンゴとミカンについて、お話します。

 リンゴは、肉、卵の毒消しで、ミカンは魚の毒消しなのです。私は、この30年近く、半断食を通して、正しい食べものの指導をしているのですが、半断食を実践すると、体に蓄積している色々な毒素が出てきます。穀菜食で少食にすると今循環している血液が少しでもきれいになってきますから、体内に蓄積している毒素が血液の中に溶け出してきます。その時に色々な症状が出てきます。これを一般的に反応と言うのですが、排毒症状という表現がわかりやすいと思います。昔の水飲み断食では、反応が出てくると、指導者は「反応はいいことです。反応が出るから病気が良くなる。反応に感謝しなさい」と言って、反応が経過してなくなるまで、水を飲み、ゴロゴロ寝て待っているというやり方でした。

 確かに、反応は自然治癒力の働きとして必要があって出てくるのであり、感謝すべきものなのですが、大なり小なり、不快感とか苦痛を伴っていますから、頭では理解できても、苦しい時は「何とかして欲しい」と思うのです。

 私がお勧めしている半断食の場合は反応に対して積極的な対処をします。その原則は、陰性な反応(陰性な毒が血液に溶け出してきた時の症状)に対しては、その陰性毒を中和するための陽性な飲み物を飲む。反対に陽性な反応(陽性な毒が血液に溶け出してきた時の症状)に対しては、その陽性毒を中和するための陰性な飲み物を飲むのです。

 体内の毒が出てくる時には、その順番が原則的に決まっています。まず、陰性な毒から出てきます。つまりは、身体の上から、前から、左側から溶け出してくるのです。そして、だんだん下へ、背中へ、右側へと進んでいくのです。家の大掃除をする時に、床の掃除をしてそれから天井の掃除をする人はいません。上の方から掃除します。それと同じようなことで、理屈はともかくとして、事実はそうなっているのです。

 この本で、半断食とは何かを詳しく解説する余裕はありませんが、昔の水飲みゴロ寝断食は、現代人の体質に合わなくなってきたのです。食生活が大きく変化してきて、体質が昔の人より悪化してきたためです。半断食とは、半分食べるという意味ではありません。また効果が半分ということでもないのです。むしろ、正しく半断食を実践すると、水断食の2倍、3倍の効果があり、かつ安全に出来るのです。

 昔の水断食と半断食の一番大きな違いが、この反応に対する対処の仕方です。反応とは、排毒症状であり、どんな毒が血液の中に溶け出しているかによって決まってくるのですから、その毒を早く中和して、排泄を促進していくことが必要になります。

さて、リンゴとミカンの話です。肉と魚を比較すると、肉の毒が上、魚の毒の方が下に蓄積しています。毒は上から溶け出してくるのですから、魚より肉のほうが早く出てくるということになります。肉の反応には、リンゴジュースが美味しく感じます。魚の反応が出てきた時には、その毒消しであるミカンジュースが効くのです。魚の反応より、肉の反応が早いというこの順番が逆になったことは私の指導体験では一度もありません。この30年間、日本と海外で5,000人以上の人を指導してきた体験からです。とにかく、反応が出てきた時に、その毒を中和するものをすぐに飲むと、症状がスーと治るのです。早い時は1分とかからないで、症状が治ります。このような体験を色々してみると、食べもの、飲みものがすぐに身体に影響していることが実感できるのです。喉が渇いた時に、水を飲んだら、すぐに渇きが治まるのと同じことです。

15年程前から、オランダへ毎年、半断食の指導に出かけています。オランダには沖ヨガの道場があり、そこで7日~10日の合宿セミナーを開催しています。オランダの半断食セミナーに参加している人は、オランダ人だけでなくイギリス、フランス、ベルギー、ドイツなど、ヨーロッパ全体から来ています。そして、すでに長年、玄米菜食を実践している人達なのです。昔、桜沢先生がヨーロッパで活動されました(マクロビオティクという表現を使われました)。その関係で、ヨーロッパでは真面目に玄米食をしている人達が少なくありません。小さな町でも、自然食品店が必ずあるのです。

最初にオランダへ出張した時です。昼間のすいている電車に乗っていました。斜め前に座っていた若い女性が、カバンからリンゴを1個取りだして丸かじりしながら、本を読んでいるのです。ヘーとビックリして見ていました。日本ではそのような光景を見たことがなかったのです。ところが、その後、毎年のようにそのような光景を見かけるのです。歩きながらリンゴを食べたりしています。なぜリンゴをそのように食べているのか、それは肉食が多いからなのです。肉の毒消しに、体がリンゴを要求しているからなのです。

昔の日本では、お正月などには、どこの家庭でもミカンを箱入りで買ってきて食べていたと思います。昔は肉より魚を食べていましたから、魚の毒消しのミカンを食べていたのです。駅の売店ではミカンが売られていました。そして、列車に長く乗っている時などに、ミカンを食べていたのです。私自身も子供の頃、列車の中でミカンを食べた記憶があります。同じように、ヨーロッパの人はリンゴを食べているのです。

ミカンは和歌山、愛媛、静岡など海の近くで採れます。海の近くに住んでいる人は、魚を食べていますからその毒消しのミカンがちゃんとそこにあるのです。それが、身土不二であり、自然の摂理であり、必要な物は全て与えられているのです。

最近の子供達は、昔のようにミカンを食べなくなったとのことです。これは当然で、魚より肉、卵、乳製品が増えたためミカンの要求が減ってきたからです。それなら、リンゴを食べているかというと、そうでもなくて、もっと陰性な白砂糖入りのコーラとかの清涼飲料水をガブガブ飲んだりしています。砂糖の陰性では、肉の毒は中和できないのですが、陽性な肉食をすると、陰性が欲しくなるのです(砂糖の代わりに、アルコールを飲む人もいます)。        


②生命の声を聞く

半断食では、反応に対して、その毒を中和するものを飲むのですが、実際に何をどれだけ飲んだらよいのか、それが問題です。何でもリンゴとミカンというわけにいきません。しかし、色々なことを勉強し、体験を積み、症状の分析をしなくてはわからないかというと、そうではありません。反応に対して、何を飲んだらよいか、それは実は簡単にわかることなのです。

私が半断食の指導を始めて、数年間は大変でした。現代医学に見放されたような重病人の指導ばかりやっていたのです。一歩間違ったら、死んでしまう人達でした。毎日が心配と不安の連続で、常にどうしたらよいか、どうすべきかを迷っていました。しかし、わかりませんでした。そして、最後にたどりついたことは「わからない」ということが、わかったのです。

重い病気の人が、様々な反応、症状が出てきた時に、何を食べさせるか、何を飲んでもらうか、そんなことは私にわかるわけがなかったのです。考えても、本を読んでも、過去の体験に照らしても、わからないことなのです。むしろ、考えるからわからないのです。人に聞くから、間違うのです。本を読んでも、参考にはなっても、それ以上ではありません。過去の知識や体験は、貴重ではあってもそれで正しい判断ができるわけはなかったのです。

「わからない」ことがわかってからは、簡単なことでした。その人の生命に聴く以外に、なかったのです。そして、生命は正しい判断をして、どうすべきか全て教えてくれていることがわかりました。難しいことは、少しもありませんでした。その時、その人に必要なものは、その人の体が、生命が教えてくれているのですから、その教えを素直に聴くだけだったのです。傲慢にも、「自分の力で、自分の判断で、病気の人を治そう」などと思っていたことが、根本的な間違いでした。自分で考え、判断を下したら、常に不安です。もし間違っていたらどうしよう、死んじゃったらどうしよう、などという気持ちがいつもありました。しかし、自分で考えない、判断しない、知識や体験を当てはめない、相手の生命の声を聴くことに徹すれば、どうすべきか全て教えてくれるのですから、それからは不安感が全くなくなってしまいました。

現在の半断食セミナーで、参加者に色々なアドバイスをさせていただいていますが、それは私が判断しているのではないのです。その人の体が、生命が教えてくれる内容を、私が言葉にしているだけなのです。自分が判断したら間違いますが、生命は間違わないのです。


 私が半断食の体験を皆様にお勧めしている一番の目的は、この自分自身の内なる生命の声を聴くことを、少しでも実感体験して頂くことなのです。早く毒が出るとか、痩せるとか、病気が治るとか、そんなことは二の次なのです。病気は、過去の生活が間違っているという生命の教え、警告であり、同時に治そうとしている生命の働きです。早く効果を出したいという思いが問題であり、欲張りなのです。正しい方向を理解し、その道を進むなら、急がなくても時間の問題で、自然に解決するように与えられていたのです。

「言っていることは、何となくわかるけど、実際どうするの?」と思われるかもしれません。実はこれが簡単なのです(真理は大体はシンプルなようです)。今、必要なものは何か。何を食べ、飲んだらよいか、生命の声を聞くにはどうしたらよいか。それは、飲んでみたらわかるということです。その時、その人に、最も適したものは美味しく感じるということなのです。重い病気の人は、間違ったもの、合わないものは喉を通らない、飲めないのです。正しいものしか入らないのです。私が具体的にどのようにしたかを説明しますと、色々な飲みものを本人の前に並べてみるのです。合わないものは、見ただけで(聞いただけで)、飲む気になりません。しかし、今必要なものは、飲んでみようかなと思います。その時必要なもの、正しいものは、美味しく飲めるのです。口をつけてみると、やっぱり飲めないということもありますが、重症の人の場合は、その濃さや、温度がチョッと違うだけで、飲めたり、飲めなかったりするのです。

ある時、40歳代の女性で、胃の弱い人でした。半断食の2日目頃から、吐き気が出てきて、それが1日半位続きました。夜も良く寝られませんから、本人は苦痛です。「早く何とかして」という気持ちです。少し症状が治まってきて、何か入るのではないかと思い、私は本人に色々質問しました。具体的な飲みものを「これはどうか、あれはどうか」と聞くと、「そんなの飲めません。飲みたくないです」という返答がかえってきます。色々聞いて、薄いリンゴジュースで、温めたものなら入りそうだという見当がつきました。私は生のリンゴをおろして、それを2倍に薄めたものと、3倍にうすめたものをコップに入れお湯につけて少し温めてから本人の前に持って行きました。その結果、3倍に薄めたリンゴジュースが美味しいといって、半分位飲めたのです。それから、1時間もしないうちに吐き気は全くなくなりました。


 オランダへ初めて半断食指導に行った時のことです。日本と同じで、1日目は玄米菜食の少なめの昼食でした。私も参加者と同じ食堂で一緒に食べたのですが味噌汁を飲んで、「何だ、これは」とビックリしました。なんとも薄いというか味気ないというか、味噌が入っているのかという薄いものでした。そこで、イギリスから台所のお手伝いに来ていた女性(日本人)に、「この味噌汁はチョッと薄すぎない?」と言いました。彼女は、「先生、こちらの人は皆、こんな味噌汁を飲んでいるのですよ。皆さん、美味しく飲んでいます」と言うのです。確かに見ると、皆飲んでいます。私は初めてオランダへ行ったわけですから、ヨーロッパの人達の体質も、日常の食生活も、全く知らない状況でしたので、「そうなのか」と思ったのですが、それにしては、玄米にゴマ塩はかけているし、梅干を食べている人もいたのです。「こんな薄い味噌汁を美味しく感じる人が、ゴマ塩や梅干を食べるかな~?」と納得がいきませんでした。

翌日、台所の彼女に、「今日は、味噌汁を2種類作ってください。具は同じもので、一つは昨日と同じものを、もう一つは味噌をもっと増やしてください」。そして、「食事の時に、2つの味噌汁を1口ずつ全員に味見をしてもらって、本人が美味しいという方を出してください」とお願いしたのです。味噌を増やしたといっても、私にとっては、まだ薄くて物足りないのですが、昨日のから見ると味噌汁らしくなっていました。

さて、結果はどうなったか。約20人くらいの参加者のうち、半分の人が濃い方の味噌汁が美味しかったのです。しかし、残りの半分の人は、塩分がほとんどない味噌汁のほうが美味しいと感じました。セミナーが終わる頃に、参加者が感想などを話す時間がありました。その時に、ある50歳代の男性が「このセミナーに参加して、私は15年間、まずい味噌汁を飲んできたことがわかりました」と言うのです。味噌汁は、こういうものだと教わった作り方を、忠実に守ってきたのですが、二つの味噌汁を比較したら、濃い方の味噌汁がとても美味しかったのです。

生命の声を聴く具体的な方法の一つが、このように2つ(または3つ以上)のものを、同時に味見してみるということです(同時にというのが大切、朝と晩ではダメ)。この複数のものを味見するということを、何度も続けたら今その人にとって最も適したものがわかります(普通は12回でわかります)。「美味しく感じる」ということは、生命の声なのですが、ここで注意事項があります。正しい要求で美味しく感じる場合と、中毒的要求で美味しく感じる場合と、2つあるのです。中毒とは、毒が毒を呼ぶということでありアルコールの中毒、砂糖の中毒、麻薬の中毒ということです。

肉の反応が出てきた時に、その毒消しであるリンゴジュースが美味しく感じますが、同時に肉が食べたくなったりするのです。ですから、美味しいもの、食べたいものが全て良いもので、正しい生命の声だということではありません。

 正しい生命の要求から美味しく感じるのか、それとも中毒的要求なのか、これは理性で判断する必要があります。もっとも、正しい要求なら、飲んだ後で気分が良くなり、翌日には体調が良くなっていることが自覚できますが中毒的要求に従った場合には、その時には美味しくても、だんだん体調が悪化してきて、翌日には具合が良くないのです。要は、舌先で美味しく感じるのか、内なる生命が喜んで美味しく感じるのかの違いです。

半断食セミナーでは、朝は飲みものだけですが、色々なものを用意して、味見をしてもらい、一番美味しく感じるものを飲むのです。よく使うものは次のようなものです。

  梅生番茶

 これは陽性な飲みもので、陰性な反応が出ている時には美味しく感じることが多く、特に砂糖の反応に合っています。一般的に、だるいとか疲れた時胃やお腹が痛い時などに効果があります。梅干は陰性な毒にも、陽性な毒にも効くという貴重なものです。梅生番茶は、血液の循環を促進して、血液を浄化する作用があります。

  第一大根湯

 これは陰性な飲みもので、大根は魚貝類の毒消しです。20年ほど前には、年配の男性はほとんどの人が美味しいと言っていましたが、最近は食生活の変化と共に、第一大根湯よりシイタケスープの方が美味しい人が増えてきました。

  シイタケスープ

 第一大根湯と同じように、陰性ですから陽性な反応の時に飲みます。シイタケは肉料理、油をたくさん使った料理に使われています。肉、卵油の毒消しなのです。オランダの半断食では90%以上の人が、美味しく感じます。

  リンゴジュースおよびミカンジュース

 

   第一大根湯とシイタケスープは、高熱の時の解熱効果があります。一般的症状としては、肩凝り、背中の凝り、痛みなどに効果があります。梅干、大根、シイタケは、肉、魚、卵などの蛋白質を分解する作用があるのです。

 

 その他、色々な飲みものがありますが、反応が出ている時に、何を飲んだらよいかは、味見してみれば良いのです。美味しく感じるものは、一人一人違っているのが普通であり、同じ人でも、昨日美味しかったものが、今日はあまり美味しくなかったりするのです。半断食をしている時は、症状の変化が早いので、味見してみないと、わからないことが理解できます。

 もう一つ、具体的事例をお話します。

 やはり、3度目かでオランダへ行った時のことです。合宿セミナーがあと2日位で終わるという午後のことでした。参加者の細かい指導を担当している女性(金沢初子さんという人)が「先生、フランスから来ている女性が、尿が23日前から殆ど出ないと言っているのですが?」と報告してきました。ちょっとビックリして「殆ど出ないって、実際にどの位なのかもっと詳しく聞いてきて」。再度、聞いてきた初子さんは「コップに四分の一とか五分の一とか、その位で、いつもと比較してほとんど出ていないそうです。」「それで、足がむくむとか、顔がはれぼったいとか、何か症状はあるの?」「何もないと言っています。皆と一緒に、マラソンも体操もしています。」「チョッとその人を連れてきて」。

 彼女の報告内容は、私にとっては納得がいかないものでした。30歳半ばのやや小太りの女性でした。私は英語は全く話せないので、通訳してもらい、色々聞いたのですが、何を聞いても問題の症状がないのです。しかし、34日前から尿が1日にコップ三分の一程度しか出ていないと言うのです。食事は普通に食べていて、お茶なども普通に飲んでいると言います。過去の病気で、腎臓の病気も症状もない、足も顔もむくみがないというのですがそんな馬鹿なことはないと思って「体重はどうなっている?」と質問しました。「計っていません」と言うので、すぐに計ってきてもらったら、「4kg増えています」とのことです。もう15回以上オランダへ行っていますが、この時程あわてたことはありません。尿が完全に止まったら、早ければ2、3日で尿毒症を起こして死んでしまいます。いざとなったら病院へ連れて行くか、時には救急車を呼ぶ以外にありません。

 内心はあわてましたが、表面は静かに(?)「わかりました。たった今から、私が言うもの以外、一切口にしないで下さい。」と本人に確認して、利尿作用のある各種飲みものを1口ずつ味見してもらいました。うすいリンゴジュースともう一つ美味しく感じる飲みものがありました。何でも飲めますし、食事も食べられるのですが、一番美味しく感じる飲みものだけにして、夕食を抜いてもらったのです。

 翌朝、初子さんが、「今朝いつもより多く、コップ半分位、尿が出たとのことです」。昼頃には、「また、かなり出たとのことです」。その報告を聞いて、ホッとしたことを今も覚えています。もし、対処が1日、2日遅れていたり、私が日本に帰国した後なら、どうなっていたかと思ったことでした。

 もっと症状が悪化したら、必要なもの、正しいものしか入らなくなるのですが不安感が強くなると、生命の声が教えていても、それを受け止める余裕がなくなってしまうのです。

 さて、他の人の生命の声を聴くことは難しいといえば難しいのですが(本当は難しくない)、自分自身の生命の声を聴くのは簡単です。何時も誰もがやっているのです。食事をしていて、もし味が薄ければ、醤油を入れたり、塩を振りかけたり、無意識のうちにやっています。喉がかわいて水が飲みたかったら、子供でも必要なだけ飲んでいます(大人は知識で飲み食いするが小さな子供程、生命の要求に従っている。ただし、子供でも中毒的要求は同様です)。ましてや、「この味噌汁は私にとって美味しいですが、味がどうですか、どの位飲んだらいいですか?」こんなことを、他の人に聞くことなどありません。

 美味しいかどうか、人に聞いてわかるはずがありません。どの位飲むべきか、考えたってしょうがないことです。飲んでみたらわかります。生命が教えてくれています。当たり前じゃないか、と皆さんも思われるでしょう。ところが、そうでもないのです。多くの人は、何を食べたらよいか、何を飲んだらよいかを、人に聞き、本を読み、考えているのです。頭で知識で体験で判断しているのです。考えてもわかるはずがないことを考えたり、他の人にわかるはずがないことを聞いたり本の他人の体験(時には自分の体験)をそのまま当てはめたりしていることが多いと思います。

 体のどこかがかゆくなったら、誰でも無意識にかいています。考えてかく人はいません。かく場所を間違える人もいません。かき過ぎることも、かき足りないこともありません。しかし、手がとどかない背中を人にかいてもらったらどうでしょうか。自分でかくようにドンピシャとかいてくれる人はいません。生命の教えに従って、自分でやることには間違いありませんが、人は間違います。沖先生が「生命即神」ということを教えていますが、生命の声を聴くということは、内なる神の声を聴くということと思います。神様は間違わないのです。

 

(表)陰陽と酸性、アルカリ性の関係

 

  陰陽と栄養学での酸性・アルカリ性は、別な概念です。

 対角線にあるのがバランスをとる関係です。

                      



                       以下、次号につづく


 
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