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無塩食講座第2講 


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無塩食講座 第2講 201228日アップ

「半断食から無塩食へ方向転換」

 

1.私が玄米食の勉強を始めたのは19歳の時ですから、もう45年になりました(現在、64歳)。その間に、たくさんの玄米食に関する本はもちろん、直接、先生方にお会いして学んできました。

  1980年ごろに昔からの水断食では危険だと感じて、大森先生に学んだ半断食セミナーを始めました。私が勧めてきた半断食とは、少食少飲の完全穀菜食で、塩分は欲求するだけ十分にとってよいという内容でした。

  とにかく、陽性が良い。自然な調味料などの塩分はいくらとっても良いと思っていたのです。

 

2.それに対して、3年半前から開始した現在の無塩食セミナーでは、塩分は一切とらない。野菜、果物、飲み物は食べたいだけ食べる、という内容ですから、以前の半断食とは一見して逆になっているようです。実際に、半断食セミナーに何度となく参加している皆様から、「以前と逆じゃないの!」と言われているのです。

 

3.以前の半断食の時、食卓には、醤油、ゴマ塩、梅干、てっかみそなどが常時置いてあり、自由にどうぞという感じでした。キンピラ等の根菜、ヒジキや昆布、そして漬物などの陽性食が基本という認識だったのです。おそらく、日本の、いや世界中の玄米食をやっている人達の大部分は同じではないかと思います。私自身は、いつのまにか味が濃くなって、うどんやそばなど、食べる前から醤油を入れていたのです。

 

4.高血圧の人が参加しても同じでした。「肉、魚など動物性食品に含まれている塩分がマイナスになるのであって、穀菜食料理に使用する調味料の塩分では血圧は上がりませんよ」と指導していました。実際にみそ汁や梅干しの塩分で血圧は上がらないのです。

「なぜ無塩食に到ったのか」

 

5.さて、そのような塩分をきかせた陽性食で、少食を心掛けるという玄米食の常識に疑問を持ち、無塩食を始めたいきさつは何なのか、どうしてそのような考えが生じてきたのか、私が無塩食という発想に到るまでの経過を以下、お話いたします。

 

6.思い返しますと、最初の疑問は私の家内(國清れい子)のことです。現在、65歳で40年以上、穀菜食を実践しています(最初は小魚など使っていましたが、大森先生の勉強をしてから、この30年以上は純正菜食を心がけてきました)。

  今から15年位前ですから、彼女が50歳前後の時です。背中か腰かを指圧してほしいとのことでした。その時に「何か変だな〜」と感じたのです。それは、背中や腰が以前より硬化していたのです。「誰でも疲れたらそうなるでしょ〜」と言えばそうなのですが、「なぜ以前より凝っているのか?」と疑問に思ったのです。

 

7.家内は若い頃は小太りの体型で、背中が張るとか凝るとか、そういった症状はなかったのです。私は手技療法なども色々勉強していましたから、手の感覚はそれなりにあるのです。

  大森先生の正食を勉強してからは、背中や腰が硬化するのは肉、魚、卵など動物性食品からくることがわかっていました。一般的に、腰が硬い人は、魚、貝類の食べ過ぎで、背中の真ん中位が硬いのは、肉、卵を過食した人です(陽性毒は背中にくる)。

 

8.若い頃は柔らかかった家内の背中が、動物性をほとんど食べていないのに、なぜ硬くなってきたのか?それがズ〜と疑問として残っていたのです。

  それから数年後のことだと思います。看護師の仕事(パート)をしている家内が職場の検査で「高血圧」の診断を受けてきたのです。

  とにかく、お医者さんが薬を飲んだ方がよいというレベルですから、上の血圧が160位はあったようです。その後、時々、血圧を自分でも測っていると、180以上とか時には200位になるのです。

 

9.半断食セミナーに高血圧で10年間も降圧剤を服用しているという人が、少なからず来ていました。そのような人達に、「穀菜食で少食にすれば、血圧は簡単に下がりますよ。薬はすぐに止めても大丈夫です」と指導していたのです。

  そして、実際に血圧は下がり、薬も飲まなくなっている人がほとんどでした。ところが、家内の高血圧に対して、どうしてよいかわからないのです。30年間も穀菜食で少食なのです。もともと陽性なせいか、甘いものは好きで、時々食べるのですが、動物性のものはほとんど食べていないのです。

  なぜ血圧が高くなるのか、時々食べる甘いもので血液がねばって上がるのかな〜と思ったりしましたが、どうも納得がいかないのです。

 

10.血圧が高いといっても、自覚的には、特に問題がないので、そのままほおっておくという状況でした。というよりも、原因も治し方もわからなかったのです。そんなことで数年が経ったときです。今度は、「心臓がぐにゅぐにゅする」と言いだしたのです。じきに治るのですが、時々、心臓の不調を訴えるようになりました。少しの間、症状があっても治まったら何ともないのですが、念のため、病院で検査したところ、異常はなく、「疲れでしょう」ということで、そのままになっていたのです。

  とにかく、どうしたらよいのか、何が悪いのか、わからなかったのですなにしろ、玄米菜食で少食なのですから、改善すべきことが見つからないのです。私は味つけも濃く、日常的にも塩分が多かったのですが、家内はそんなこともなく、梅干も嫌いな方でした。

 

11.約6年前(2005年)の夏に、大森英桜先生が亡くなりました(大森先生についてよく知らない人は、私の本「ウイルスは恐くない」をぜひ読んでください)。

  大森先生が亡くなる数ヵ月前に、駅の階段で転んで脚を骨折されたのですが、その時に「なぜ大森先生が怪我をするのか?」と疑問に思ったのです。

  老人が転んで骨折するなどよくあることですから、普通なら何も不思議なことではありません。しかし、大森先生が怪我をするとなると、チョッと変なのです。「怪我も病気も同じだ。本当に健康だったら、怪我も事故もない。全てのことは原因がある。偶然、運が悪くて怪我をするわけではない」と理解していたからです。50年間、徹底した純正穀菜食を実行してきた大森先生が脚を骨折するということは、どういうことなのか?という疑問です。

  そんなことに思いをめぐらしていたら、そういえば大森一慧先生も怪我をされたことを思い出しました。よく考えてみると、一慧先生も50年間、徹底した穀菜食を実行してきたのですから同じなのです。

  そんな疑問を感じながらも、わからないまま時間がすぎていきました。「50年間、穀菜食をしても、全身の体細胞がすっかり入れ替わっているわけではないようだ。奥深い所の毒は残っているようだ。」というイメージを持っていただけでした。

 

12.ところが今から約4年前に、家内と大森先生ご夫妻に関する上記の疑問が、突然のように氷解したのです。

  以下の文書は、拙著「ウイルスは恐くない」のP121料理の極意〜P126塩の問題までの抜粋です。

 

「料理の極意」

 食べものは、その時、その人の体質、症状、反応等に丁度適した物が美味しく感じるので、個人差が大きいのです。しかし、誰が食べても比較的美味しい料理と、誰が食べても比較的まずい料理があるのも事実なのです。この違いは何なのか、実はつい最近、私はこの違いが何であるかを発見(?)したのです。まだ仮説であり、私の独断的、こじつけかもしれませんが、多分正しいだろうと思っています。

 昨年の7月(2008年)にまたオランダへ出張しました。オランダのセミナーで参加者の体調、症状を把握して、アドバイスをして、さらに料理も作っているのが金沢初子さんなのですが、どうも彼女は料理が得意ではないのです。初子さんは指圧の治療技術は超一流で、ヨガの指導もしていて、体験も勉強も色々していて優秀な女性なのですが、料理だけはどちらかというと下手なのです。その点で比較すると、私の奥さんの料理はなぜか美味しいのです。

 日本とオランダの水の違い、食材の違い、調味料の違いなどが原因なのかと思っていたのですが、改めて、なぜ美味しい料理とまずい料理があるのかその違いは一体どこからくるのかを色々検討してみたのです。そして、わかったのです。違いの本質が何かを発見したのです。私は、すぐにその内容を初子さんに伝えました。翌日、彼女は、私のアドバイスを取り入れて、料理の工夫をしました。その結果、出来上がった料理は、突然美味しくなったのです。オランダの道場の責任者で、長年ヨーロッパで活動している玉木瑞枝さん(彼女がセミナーの責任者で、私の講義を通訳している)は、初子さんが作ったスパゲティを食べながら、「今まで食べた中で一番美味しい」などと言っていました。

 実は、この発見が、その後、私が30年間指導してきた半断食のシステムを再検討するキッカケとなりました。大森先生の勉強をしてから、一環してやってきたシステムを根本的に見直すなど、思ってもいませんでした。

 さて、初子さんに伝えた内容とはどんなことか、要点は以下の通りです。

@  人間が生きていくために外から取り入れなくてはならないもので、もっとも大切なものは、順番に考えてみると、第一は空気、酸素です。呼吸が止まったら、3分で死んでしまいます。第二は水です。一滴も水分を摂らなかったら、2、3日で死んでしまいます。第三は何か、それは塩だろうと私は考えました。塩分が不足したら、生理機能は正常に動かないのです。

A  呼吸は、死ぬまで何時も休みなくやっています。空気をためておくことが出来ないからです。水が不足したら、いつでも飲んでいます。喉が渇いたら、水でもお茶でも水分を補給しています。水も体にためておけないのです。第三番目に大切な塩はどうか。塩分が不足したら、塩を舐めるかといえば、普通は食事として塩分を補給しているのです。

B  塩分は、生命維持のために不可欠なものであるが、身体にとってこの塩分はどのように補給されるのがベターなのか、それは一度にドンと入ってきても困るはずである。汗や尿で塩分は少しずつ排泄されているのだから、必要な塩分が徐々に少しずつ補給される方が、身体にとってはベターなはずである。そして、塩分は、食物の中に含まれている。

C  肉、魚、卵など、動物性食品は、塩分が含まれている。だから、お刺身などそのままでも食べられる。しかし、野菜には、もともと人間に必要な塩分が含まれていない。だから、料理の中で、塩、味噌、醤油など塩分を加えている。塩分のない野菜料理ばかりでは、体がもたない。

D  動物性のものは、料理をしなくてもそのままでも美味しく感じるのは、塩分が含まれているからだ。そして、塩分は均等になっている。生のお刺身が表面に塩分が多く、中が少ないということはない。塩分が均等であれば、胃や腸で消化吸収されていく時に、塩分は徐々に吸収されていくはずである。

E  野菜や穀物は、もともと塩分がないから、料理で加えているが、その塩分が表面も中も均等になっていなければ美味しくないのではないか。塩分の加え方、料理の仕方によって、塩分は全体に均等にならないことになる生命にとって、均等なほうがベターであり、その違いが美味しさの違いではないのか。

 

 以上がその要点です。初子さんが具体的に何を変えたかといえば、塩分の加え方と火にかける時間とか、火の強さを、材料によって加減したということです。今までより、火にかける時間が長くなったのです。何でも長く火にかけたらよいわけではないと思いますが、材料によって変えたということで、出来上がった時に、加えた塩分が中まで均等にしみ込むように心がけた、ということなのです。

 

 私は料理の極意がわかったと思って、その内容を日本の澤井()日子(いこ)さん(ヨガ道場で事務一般と、半断食セミナーで台所のお手伝いもしている陽性な女性)にメールしました。ところが、香日子さんは、「そんなのあたり前じゃん。れい子さん(私の奥さん)の料理は、チョー時間かかるよ」と、私の大発見を軽くあしらっていました。

 料理の上手な人は、体験的にそんなことはわかっているようです。「美味しさの違いは、塩分が均等であるかどうかの違いである」という仮説について、わかっている読者の方は教えてください。

 

「塩の問題」

 オランダから帰国後、さらに、塩の問題をいろいろ検討していきました。私の思考過程を順にお話しますと、以下のようになります。

生命維持に不可欠な塩分を、体(生命)はどうするのだろうか。酸素や水は体内に蓄積できないが、塩分は蓄積しているではないか。

 人間の長い歴史から見ると、ほとんどが飢餓の歴史であり、食べものがあり余って無駄に捨てているなどは、近年になって、それもごく一部の先進国だけである(ちなみに、日本では年間1900万トンもの食品廃棄物が発生している。これは食料の25%に相当するとのこと)。農耕民族でも、狩猟民族でも、食べものがいつ確保できるかわからない。何日も食べものがないというのが普通だったのだから、まず水が近くにあって、次に大切な塩分を、体は可能な限り備蓄するのは当然だ。塩分のみを備蓄しておく臓器も袋もない。ならば、いざという飢餓に備えて、体は塩分をどのように蓄積しているのか。塩分単独ではだめだから、蛋白質や脂肪と一緒に塩分を蓄積する以外にない。

 肉、魚、卵など、塩分が含まれている食物を、胃や腸で完全に分解してしまったら、塩分も代謝して尿で出てしまう。塩分を備蓄しておくためには、塩分が含まれている食べものを、未分解のままで吸収して体内にためておく以外にない。それは、すなわち毒ではないか。そうすると、毒はたまたま蓄積したのではない。体は必要があって、毒をためていたということになる。生命が間違えるはずがない。無駄なことなどあるはずがない。体は塩分を毒として備蓄しているのだから、毒は毒ではない。

 大昔のように、飢餓になって、塩分が外から補給されない事態となったら、その毒素を分解処理して、塩分を補うことになる。しかし、飢餓状態がいつまでも来なかったら、備蓄していた塩分を含んだ毒素は代謝されないことになる。年をとって、体が全体に萎縮して小さくなったり、硬くなるのは、古い塩分が蓄積してきたからだ。

 少なくとも、年に1度か2度襲ってくるであろう飢餓に備えて、体は塩分を備蓄しているのに、5年も10年も飢餓にならなかったら、古い塩分はもう役に立たない。簡単には代謝しなくなってしまう。玄米菜食をまじめに実行しても、塩分が十分に補給されていたら、古い塩分を含んだ毒素は代謝しないことになる。体内の毒素は、新しいものから代謝していくのだから、古い物ほど代謝が難しいのではないか。

 以上のように考えてみますと、いろいろな問題が納得できるのです。

 2008年の夏、半断食セミナーのシステム(食事内容)を、過去30年間続けてきた内容から、全く逆にしてみたのです。具体的にどうしたかというと、無塩穀菜食半断食です。とにかく、塩分を一切とらないということです。その結果は、予想どおりでした。細かなことはお話できませんが(効果絶大ということは、一歩間違うと危険もあるため、具体的解説を控えます)、参加した20歳代の男性は、45日(実質4日間)で7kgも体重が減ってしまいました。ほとんどの人が2kg 4kgの減量となり、塩分を十分に摂っていた半断食の時より体重が減ったのです。そして、全員が少食になったのです。「食べたいだけ食べていいよ」とたくさん出しても、少し食べてもう十分という感じです。私自身の体の変化としては、2日目頃に肩、背の凝りがスーと取れるのが実感できました。

 過去に、私の半断食セミナーに参加していただいた皆様へのご報告です。

 「穀菜食で少食を心がけても、塩分が十分に入っていると、古い毒素はなかなか代謝しないと思います。日頃、塩分が過剰かどうかは、丸1日(24時間)、無塩食(野菜の水炊きなど)をやってみたらわかります。」

 

13.「ウイルスは恐くない」の出版は、20096月ですが、実際に原稿を書いたのは200812月頃のことですから、無塩食セミナーを開始して数カ月後の頃です。

 さて、上記の「ウイルスは恐くない」の文書の要点を再度、整理してみます。

 

@人類の歴史は飢餓の歴史であり、狩猟採集民も、農耕民も、たびたび飢饉に襲われていた。

  A食料欠乏の時に、生き伸びるためには、必要不可欠な栄養を体内に蓄積(備蓄)するのは当然である。

  B塩分を蓄積するには、塩分を含んだ蛋白質や脂肪などを分解しないままで蓄積する以外にない。食料欠乏時にこれを分解し使うことになる。しかし、何年も飢餓的状況が起きなかったら、これは代謝されないこととなる。

 C過去40年間、分解、処理できなかったために、だんだん毒がたまってきたと思っていたが、これは間違っていた。毒は必要があってためていたのだ。それは、いざという飢餓に備えた備蓄栄養物であり、毒ではなかった。

 

14.「ウイルスは恐くない」には、この先が書いていないのです。この毒(備蓄栄養物)がどうなっていくのか、これが問題なのです。

 以下、上記の続きです。

 

  D子どもや若い人が将来の飢餓に備えて塩分を含んだ動物性蛋白質などをドンドン備蓄するということは納得できる。しかし、そのような働きが死ぬまで続くのか。そんなことはなさそうである。70歳、80歳の老人が若い人と同様に将来の飢餓に備えて備蓄するわけがない。そんな必要はないはずである。それでなくても、過去何十年も代謝出来ない毒がいっぱい蓄積しているのだから、さらにためるということはないだろう。

 

 Eいや待てよ。子どもや若い人は将来に備えてドンドン蓄積する。これは正しい。老人は逆になるのではないか。若い時にためて代謝していない毒が、むしろ逆流してくる。溶け出してくるのではないか?

 

 Fそうか、わかったぞ。老人になったら蓄積するよりも逆に蓄積していた毒が溶け出してくるのだ。もしそうなら、家内や大森先生ご夫妻の疑問が解ける。納得できる。子どもの頃の毒は、体の奥深くに代謝しないまま、ズ〜と存在していたんだ。それが加齢と共に、徐々に溶け出してきたんだ。

 

 G家内の場合に、子どもの頃は肉は少なかったが、魚貝類は結構食べていた。20歳半ばから玄米食を始めて、大森先生の勉強をしてからは、ダシの煮干し、鰹節もやめていたけれど、子どもの頃の陽性毒は代謝していなかったのだ。それが、50歳前後から少しずつ溶け出してきたとしたら、だんだんと背中がはってきて、腰が硬くなってきて、さらに血圧が上がってきたとしても、不思議ではない。若い頃よりも、全体の症状は陽性になってきている。食べているものは、むしろ陰性なのに、陽性が強くなってきた原因は、体の奥深くに蓄積していた陽性毒が出てきたためだ(毒が溶け出してくるということは、血液の中にその毒が溶けて、循環するのだから、口から食べて出てくる症状と同じなのです)。

 

 H大森先生ご夫妻の場合も同様に考えてみると納得できる。50年間、食生活を変えても、子どもの頃の毒は完全に代謝していなかったということだ。いかに穀菜食で少食でも、塩分を十分にとっていたら、子どもの頃の陽性毒は代謝しないと考えるしかない。

 

 Iもし、この仮説が正しいとしたら、子どもの頃に蓄積している陽性毒を代謝するにはどうしたらよいのか。本来ならば、年に何回かの飢餓状況がきてドンドン代謝して入れ替わっていたはずなのだ。ところが、現代先進国の人々は飢餓どころか、何十年も食べ続けている。

 

 J体が飢餓に備えて備蓄する一番重要なものが塩分ならば、塩分をとらなければ蓄積している毒が溶け出してくることになる。そうか、無塩食にすればいいのではないか。

  50年間、徹底した純正穀菜食を実践された大森先生ご夫妻でも子どもの頃の陽性毒が残っているとしたら、塩分を十分にとっている今までのやり方では、奥深い陽性毒は代謝しないと考えるしかない。

 

  K一般的に老人になると、体が硬くなり、背丈も縮んできて陽性な症状が色々でてくるが、これは最近食べているものの影響だけではなく、若い頃の陽性毒がドンドン溶け出してくることが主因ではないか?

 

 Lそうか、女性の場合は、閉経によって生理で排出していた陽性毒が出せなくなり、その陽性毒と溶け出してくる陽性毒が重なって、50歳前後から一気に陽性症状が強くなる可能性が高い。

  更年期障害とか老化とかの本質は、若い頃のため込んでいた陽性毒が溶け出してくることではないか。

 

15.以上が、私が無塩食にたどりついた経過とその仮説です。大森先生が極陽性体質の人に、野菜の水炊きなどを無塩で食べなさいという処方箋を出していました。しかし、その頃は、単に陽性過多に対して陰性な無塩食というとらえ方でした。

  新しい発想のポイントは、

 @毒は必要があって、ためたものであり、塩分を含んだ動物性食品だ。

 A飢餓のない現代人においては、この毒を代謝する機会がない。

 Bこの毒が50歳前後から溶け出してくる。この時に血液中に毒が溶けて循 環するという点においては、食べているのと同じ症状が出る。

 C子どもの頃から蓄積している陽性毒を早く代謝させるには、無塩食にす る以外にない。

                         以下、次号につづく



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