田村式計画産児法 第1講 2012年5月2日アップ
1.今回から数回に渡って、田村式計画産児法をご紹介いたします。具体的な内容をお話しする前に、なぜ無塩食講座の続きでこのような内容が出てくるのかと不思議に思われる読者もいらっしゃるかと思いますので、まずそのようなことを少しお話しします。
2.私が断食、玄米食、ヨガ等の自然療法的な健康法に興味を持つようになったキッカケは、単純に自分の病気、蓄膿症を治したいということでした沖先生のヨガ道場で3年間学んだ後に、森下敬一博士の自然医学会、お茶の水クリニックに在職しておりましたが、その時にクリニックの患者さん相手に、簡単な体操教室を担当していたのです。その生徒さんの中に、子どもが欲しいけれどできないという不妊で困っている人の相談を受けていたのです。そんなことから、女性の生理、妊娠、出産について、関心を持つようになりました。
3.その頃に、本屋さんで、田村いとの著「男児を産む法」(現在絶版、出版社も不明)という本を買って読んだのです。その本によると、現在、世界の常識となっている女性の排卵に関する学説である「荻野学説」は間違いであること、田村先生が約50年間に渡り、数万人の実地検証の結果は荻野学説とは逆になっていること、田村式の内容などが書かれておりました。
4.荻野学説と田村学説では、全く逆の考え方をしているのですから、どちらかが正しく、もう一方は間違っているということになります。私は田村先生の方が正しいと考え、森下先生の月刊「自然医学」に4回に渡って田村式を紹介する原稿を書きました(約40年前)。その後、半年位の間に原稿を読んだ女性から手紙をもらったのです。その内容は「不妊で悩んでいたけれども、田村式で計算して試みたら妊娠した」ということでした。そのような手紙を、2人の方からもらって、自分でも驚いたのです。
5.さらに、田村先生ご自身からお手紙をいただいたのです。その内容は以下のようなことでした。
先日、知人の女性が、「國清さんという人が、田村式をこのように紹介しています」と自然医学誌を数冊持ってきてくれました。貴方の原稿を読ませていただきましたが、田村式を正しく紹介していただいて、ありがとうございます、という内容だったと思います(私はその後、10回以上引っ越しをしていて、この田村先生からのお手紙をどこにしまっているのか今わからなくなっているのです。古い荷物を全部開けて見つけなくてはと思っているのです)。
6.当時の私の認識では、荻野式と田村式とどちらが正しいかなどは、本を読めば誰にでもわかることであり、近いうちに田村式が常識になっていくのが当たり前と思っていたのです。しかし、それから10年後くらいに田村先生が亡くなり(昭和58年2月)、ご長男が普及に努めておられたと聞いていたのですが、現在、ネットで検索しても、田村式を伝える資料、書籍はほとんどない状態になっているようです。
7.いつ頃、どのようにして知らされたことか記憶が正確ではありませんが田村先生が、「田村式が単に避妊の道具として利用されることが不本意として、普及することをやめるという表明をした」とか聞いたことがあるのです。しかし、詳しいことは確認しておりません。
8.以上のようなことで、田村式の普及会が現在どうなっているのかわかりませんが、伝える本も見つからないわけですから、このまま忘れ去られるようなことがあってはならないという気持ちで、このレポートを書かせていただくことにしました。
少なくとも、40年前に自然医学誌に連載紹介し、田村先生からお手紙をいただいた実績があるのですから、國清が再度、田村先生の内容を紹介する原稿を書いても許されるだろうと思っております。
9.さて、田村式を理解するためには、荻野式とどう違っているかを把握していただく必要があります。読者の中には、田村式はもちろんのこと、荻野式についても、聞いたことはあるけれども内容については、ほとんど知らない方が少なくないと思いますので、まず世界の常識となっている荻野学説について確認していきます。
10.以下の内容はネット上の荻野久作(出典 フリー百科事典 ウィキペディア)から要約、抜粋しました。
※荻野久作(おぎのきゅうさく 1882年3月〜1975年1月)
産婦人科医、医学博士、女性の月経周期と妊娠との関連性を研究した先 駆的学説で知られる。
※経歴
1909年(明治42年)東京帝国大学医学部卒業
1912年 新潟市竹山病院産婦人科部長に就任すると共に、新潟大学 で研究
1924年(大正13年)不妊や多産に苦しむ新潟の女性を目にし、当時、解明されていなかった排卵時期の研究を行ない、3年の歳月をかけて論文「排卵の時期、黄体と子宮粘膜の周期的変化との関係、子宮粘膜の周期的変化の周期及び受胎日について」を発表(しかし、反対意見も多かった)。
1930年(昭和5年)ドイツの『婦人科中央雑誌』に「排卵と受胎日」というタイトルで同論文を発表(大反響となり、世界的評価を受ける)。
ところが、オーストリア人のヘルマン・クナウス(Hermann
Knaus)が久作の手法の目的を逆転させて避妊法として使うことを提唱する。これは当時から避妊法としては他の手段と比べて非常に不確実な方法であることがわかっていたので久作は反対意見を表明する。しかし不本意にもこの避妊法は後にオギノ式と呼ばれるようになる。もっと確実な避妊法があるにもかかわらず自身の学説を安易な避妊法として使い、結果として望まない妊娠をして人工中絶により失われる命のあることに久作は憤りを感じていた。そして、むしろ不妊治療に役立てて欲しいと主張した。
11.田村先生の正確な生年月日はわかりませんが、とりあえずの経歴です。
1930年(昭和5年)頃から、高知県高岡郡越知町で教職につき、衛生主任として活躍。その間、特別に親子研究及び妊娠研究をし、1935年(昭和10年)「気候による排卵日の移動説」という新学説を提唱。1983年(昭和58年)2月に亡くなるまで、指導と普及にあたられました。
12.さて、まず基本的な用語について確認しておきます。
@月経:成人女性の生殖器からの定期的出血(いわゆる生理の出血)。
通常は月に1回。
A排卵:月経と月経の間で卵巣から卵子が排出されてくる(卵巣は左右2個あるので月毎に左右交互に排出される)。
B月経周期:出血が始まった開始第1日目から数えて、次の月経開始日までの日数。
C月経期間:出血している期間(3日〜7日位)
13.
上記図でAの期間は、今回の月経開始日から数えて排卵までの期間とするそして、排卵から次回の月経開始日までの期間をBの期間とします。その排卵日について荻野式と田村式では全く逆の考えになっているのです。
荻野学説は「排卵は次の月経第一日目から逆算して14日プラスマイナス2日間に排卵期間がある」
田村学説は「排卵は今回の月経第一日目から数えて一定期間にあり、月経周期の長短に関係なく、その排卵期間は気候条件により移動する。」
つまり、荻野式ではBの期間を固定化しているのに対して、田村式ではAの期間が固
定化しているわけです。
14.念のため、もう少し解説しますと、もし生理不順で月経周期が30日の場合もあり、時には40日とか50日になることもある女性の場合を考えてみましょう。ここでは分かりやすく、次回月経が50日後になると仮定します。つまり、A+Bが50日間ということです。
今回、月経が5月1日に開始となったとします。次回月経は50日後になりますから、6月20日とします。そうしますと、荻野式では次回月経開始日から逆算して14日±2日間が排卵期間ですから、6月20日マイナス14日は6月6日となり、その前後2日間ですから6月4日〜8日が排卵時期となります。
これに対して、田村式では今回月経第1日目から数えておよそ2週間後にに排卵期間があるとしています。個人差があり、気候によって4日、5日のズレがあるとしても、田村先生の40年間数万人の調査では、排卵(自覚日)が27日を越える場合は発見できなかったのです。
つまりは、大部分の女性は、5月10日〜20日の間に排卵があるということなのです。こうなりますと、田村式と荻野式では、いつ排卵があるかが全く違ってくるわけです。そして、オギノ式避妊法では、次回月経開始予定日11日前〜19日前を避妊すればよいということになっていますから、荻野式の安全期間は、田村式では妊娠可能期間となってしまうわけです(結果として荻野式では避妊に失敗する)。
15.上記の違いはなぜ生じているのかは簡単です。排卵が先か月経が先かの違いなのです。つまりは、荻野式では月経は排卵の後に起こる。卵子が妊娠しなかったため、後始末として生殖器から出血(月経)が生じるとの考えです。これに対して、田村式では月経は排卵の前に起こる。卵子が受精し、子宮に着床(受胎)するための準備段階として、生殖器から出血が生じるという考えなのです。
16.第九講で、オランダのセミナーに参加された40歳の女性で、2年間マクロの食事を真面目にやったけれども、生理痛が治らなかった話を書いています。その時に、生理の出血とは何か、生理痛とは何かについて再検討したことを書いていますので、忘れている方はもう一度第九講を読んでください(生殖器からの出血は、妊娠のための準備であることは当然と思われます)。
17.田村先生は医師でも学者でもない。一教師であり、女性であり、母である。自らの体験、実感から、月経と排卵の関係を研究し、身近な婦人達数万人の実地検証、協力によって、田村式を導かれた訳です(40年間の検証)。これに対して、荻野先生は男性であり、当然ながら月経の体験も排卵の実感もないのですから、婦人の話を聞いて、3年間で荻野学説をまとめたわけです。素人から単純に見ると、どう考えても田村式の方が正しいと思うのです。
18.田村先生が論文をまとめるにあたり、10年以上に渡って、専門的観点から指導を受けた東大医学部講師の加藤一男博士は、「哺乳類の周期的性器出血は排卵に先行する。ヒトもその例外ではない」との発表をされており、荻野学説については、「これまでに世界の婦人の受けた莫大なロスとダメージは測り知ることが出来ない」と、その著書「母子衛生学」に書いているとのことです。田村先生は「日本国内だけでも、1日平均5000件の人工中絶があると言われている昨今、母性保護と人類の幸福といいう見地から田村式の知識を女性達に持ってほしい」との願いから普及に努めてこられました。
※参考資料
最近の人工中絶のデータは、以下のようになっています。
(フリー百科事典 ウィキペディアより引用)
1955年 117万件 1日3,200人
1965年 84万件
1980年 60万件
1990年 46万件
2000年 34万件
2008年 24万件 1日664人
(これは、厚生労働省の統計です。裏の中絶が相当数あると言われています)
日本国において中絶は、刑法の規定上の犯罪行為である。一方、母体保護法(1996年以前の法律名は優生保護法)は、「母体の健康を著しく害するおそれのある」場合等に、特別な医師(指定医師)が本人等の同意を得た上で「中絶を行なうことができる」と定めており、この規定に則った中絶は罰されることはない。
20世紀中盤以降の日本国において、母体保護法が幅広く適用され、多数の中絶が公に行なわれてきた。また、法的にグレーな中絶も、公然の秘密として無数に行われているとされる。
次回から田村式の具体的内容について、ご紹介します。
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